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第18回研究会 参与と生命IV 変容する参与、試行する生命

第18回研究会  第58回マルチスピーシーズ人類学研究会 と共催 日時  11月21日(日)14:00~17:00 場所 zoom  (*申し込みはマルチスピーシーズ人類学研究会のサイトでご確認ください) 参与と生命IV 変容する参与、試行する生命  【趣旨】   インゴルドは、『存在と時間』をものしたハイデガーの思索からインスピレーションを得て、「世界に住まう」視点(dwelling perspective)を、「生命」を眺める彼の人類学的「参与」の根っこに置いている。そのことには、「人々について(of)」語るという視座から、「人々とともに(with)」学ぶという態度変更や、そのことにともなって他者を「真剣に受け取る(taking seriously)ということも孕まれ、今日もその射程は議論のただなかにある。  ではあらためて、世界の中に住み、それを表現や言葉にもたらすときに、どういうことが起こっているのだろうか。  日々の情報に溢れた生活者のありかたからは、その便利さゆえに身体性が忘却されやすいように、研究者・探究者もしばしば自らを客観的な観察者の位置におこうとするがゆえに、人間・非人間(動植物・鉱物・菌類・大気・地面・人工物・目に見えないモノたち......)とともに生死する「生命」として生きているという実感を喪失しやすい。しかし、そうした中でも、自らの現場に参与し変容しつつ、同時にその自身を観察するという叡智のありかたというものがあるのではないだろうか。  シリーズ「参与と生命」の第4回目は、「変容する参与、試行する生命」と題して、アメリカにおける坐禅指導の経験などを通して「安楽の法門」としての道元禅の継承を志向し、異領域との対話を積極的に続ける曹洞宗僧侶の藤田一照さん、自他の区別のない領域に果敢に踏み込み、死の領域と生の領域が分かたれていない、人間の領域を超える試みを「原初舞踏」として表現し、日々の稽古や公演、twitterなどを通して発信を続ける舞踏家の最上和子さん、『あたしの中の・・・・・・』でSF作家としてデビュー後、最新作『絶対猫から動かない』に至るまでの数多くの作品や、「ぬいぐるみ」(ぬい)との生活を描いたエッセイなどを通して、独自の生命観を表現している新井素子さんにご登壇いただき、参加者のみなさんとともに思索を深めて

第17回研究会 参与と生命III  土の思想、科学とアート、参与しつつ消えていくために

第17回研究会 第56回マルチスピーシーズ人類学研究会 と共催 日時  10月31日(日)13:30~17:30 場所 zoom  (*申し込みはマルチスピーシーズ人類学研究会のサイトへ) 参与と生命III  土の思想、科学とアート、参与しつつ消えていくために 【趣旨】   三木成夫やベルクソンに影響を受け、90年代に生命論に踏み込んでいった吉本隆明は、マルクスの資本論から「アジア的なるもの」へ、ソ連の農業から日本の農耕へ、安藤昌益の「直耕」から現代日本の産業の中の農業へと独自の農業論を展開した。農業論とは、本来的には、政治思想や経済学は言うに及ばず、生死をめぐる宗教思想などを含め、大地(地球)を前に、自らの生命を育むために、他種の生命を育てることに深く参与し、つねに生命とともに生きることに関する思索であったはずだ。しかし農業論は、日々の営みから遠く乖離してしまった認識論に移行してしまって久しい。  昨今、すっかり失われてしまっていた土の感覚を取り戻してくれたのが、「人間の本性(自然)は種間の関係性にある」と見るダナ・ハラウェイの「共生思想」である。私たちはみな、喰いつつも、喰われる存在者である。生命は、消化しきれないものを身体の外部に放り出し、それが他の生命を利するという関係性の中に生きてきた。汲み取った糞尿を利用して来たのが、近世の日本の農業である。  種間の絡まり合いをめぐる科学史・科学思想から発せられたそうした問いには潜在的に、それぞれの生命が生命現象へ行為主的に不断に参与することをつうじて「表現」していると見ることのうちに、人文学や人間を超えた新しい人文学へと再接続されるための道が与えられていた。私たちは今日、生命それ自体が発する表現のかたちや動きをつかみ取り、アートを介して思考するという時代を生きている。   シリーズ「参与と生命」の第3回は、「土の思想、科学とアート、参与しつつ消えていくために」と題して、草の成長をみつめ、耕すことの意味を、現代農業の実践者としての立場から思考してこられた「稲オタク」である松下明弘さんに、人類を視野に入れて農業についてのお話をうかがう。逆卷しとねさんには、異種間の生命の絡まりあいを前提とした創発を、個体の責任(accountabilityやresponsebility)から離れ

第16回研究会 参与と生命II 個/体を超える、その手前とかなた

第16回研究会 第55回マルチスピーシーズ人類学研究会 と共催 日時 2021年9月29日(水)13:30~17:30 場所 zoom  (*申し込みはマルチスピーシーズ人類学研究会のサイトへ) 参与と生命II 個/体を超える、その手前とかなた 【趣旨】  今日の自然科学は、もはや生命の個体的な起源ではなく、遺伝子解析を通してその生態系のネットワークへと探求を拡張している。そうした動向とあたかも並行するように、21世紀の人類学は、精神と物質を截然と切りわけるのではなく、両者を記号過程の中継点や効果として捉えるという視座を展開している。またこうした思考は、バイオアートや現代の仏教哲学においても豊かに展開されているものであった。  人間種に高度に発達したとされる意識や精神性は、しかしその種に独自のものではなく、他の生物種とも連続している。またそれは、他なるものから、人間種が問いかけられることでもあるだろう。そして、こうした観点から、個を超えるつながり・重なりや、アニミズムといったことの意義を照らしだすことができよう。  「参与と生命」の第2回は、「個/体を超える、その手前とかなた」と題して、こうした問題意識をふまえつつ、隣接諸領域との対話に踏み込んでいこう。  今回は、南方熊楠による粘菌への鏡検を支える言説に対する深い洞察を軸に、ハイデガーや華厳思想の存在論を媒介としつつ生命そのものを思考する「粘菌哲学」を構想している唐澤太輔さん、「生物の進化や生態系は、ヒトのこころの映し鏡である」という見地から、人間を生み出す内骨格動物(脊椎動物)の進化をたどる独自の「アニマンダラ」というフレームワークを提唱している天海ヒロさん、そして、「個を超える」トランスパーソナル心理学の試みを日本に導入した故・吉福伸逸のプロジェクトに伴走し、今日も個人臨床や企業研修、そして翻訳活動を通して活躍されているティム・マクリーン&高岡よし子さんをお招きし、話題提供をいただきながら、さらに思索を深めていきたい。   【プログラム】 司会進行:甲田烈(東洋大学井上円了哲学センター客員研究員) 13:30~13:40 趣旨説明 13:40~14:30 唐澤

第15回研究会

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第15回研究会 日時 2021年9月9日(木)20:00~ 場所 zoom  池田晶子 『14歳からの哲学』    

第14回研究会

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第14回研究会 日時 2021年7月29日(木)20:00~ 場所 zoom  岩田慶治 『アニミズム時代』      

第13回研究会

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第13回研究会 日時 2021年7月2日(金)20:00~ 場所 zoom  煎本孝 『こころの人類学』  

第12回研究会 「参与と生命 I」

第12回研究会 第53回マルチスピーシーズ人類学研究会 と共催 日時 2021年6月13日(日)13:30~17:30 場所 zoom  (*申し込みはマルチスピーシーズ人類学研究会のサイトへ) 参与と生命 I  生きる場とともにたしかめる知を巡らせる 【趣旨】 人間という「単一種」が地球環境を破壊したとする「人新世」という今世紀初頭の問題提起に対して、人間によって支配・統御されてきた動植物や微生物などと人間との関係性を軸に「多種」の絡まり合いを主題化するマルチスピーシーズ研究が立ち上がった。マルチスピーシーズ研究は、その出発点から「生命」というテーマを胎んでいた。 私たちは人間である以上に、種である以上に、生命である。生命に「参与する(participate)/関与する(engage)」ことで、生命たり得ている。2021年度マルチスピーシーズ人類学研究会では、「参与と生命」というトピックを設定し、3回シリーズで研究会を開催し、隣接諸領域との対話をかさねながら、私たちが取り組むべき課題を探っていこう。 昨今、研究者として事物を対象化して論じるあり方に疑義が呈されている。その射程は理論家と実践家の従来のあり方を組み替える衝迫力を持つと思われる。そこで、第1回目として今回は、「生きる場とともにたしかめる知を巡らせる」と題して、人類学者、美学・芸術学者、比較思想家に話題提供してもらいながら思索を深めていきたい。   【プログラム】 司会進行:MOSA(マンガ家) 13:30~13:35 趣旨説明 13:35~14:25 奥野克巳(立教大学 異文化コミュニケーション学部 教授) 「『人間的なるものを超えた人類学』を進めてみて『生命』について人類学者が考えたこと」(仮) 14:25~15:15 増田展大(九州大学 大学院芸術工学研究院 講師) 「行き違うアニミズム──イメージ人類学、または物質に生じる思考について」(仮) 15:15~16:35 休憩 15:35~16:25 甲田烈(東洋大学 井上円了哲学センター 客員研究員)