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第17回研究会 参与と生命III  土の思想、科学とアート、参与しつつ消えていくために

第17回研究会 第56回マルチスピーシーズ人類学研究会 と共催 日時  10月31日(日)13:30~17:30 場所 zoom  (*申し込みはマルチスピーシーズ人類学研究会のサイトへ) 参与と生命III  土の思想、科学とアート、参与しつつ消えていくために 【趣旨】   三木成夫やベルクソンに影響を受け、90年代に生命論に踏み込んでいった吉本隆明は、マルクスの資本論から「アジア的なるもの」へ、ソ連の農業から日本の農耕へ、安藤昌益の「直耕」から現代日本の産業の中の農業へと独自の農業論を展開した。農業論とは、本来的には、政治思想や経済学は言うに及ばず、生死をめぐる宗教思想などを含め、大地(地球)を前に、自らの生命を育むために、他種の生命を育てることに深く参与し、つねに生命とともに生きることに関する思索であったはずだ。しかし農業論は、日々の営みから遠く乖離してしまった認識論に移行してしまって久しい。  昨今、すっかり失われてしまっていた土の感覚を取り戻してくれたのが、「人間の本性(自然)は種間の関係性にある」と見るダナ・ハラウェイの「共生思想」である。私たちはみな、喰いつつも、喰われる存在者である。生命は、消化しきれないものを身体の外部に放り出し、それが他の生命を利するという関係性の中に生きてきた。汲み取った糞尿を利用して来たのが、近世の日本の農業である。  種間の絡まり合いをめぐる科学史・科学思想から発せられたそうした問いには潜在的に、それぞれの生命が生命現象へ行為主的に不断に参与することをつうじて「表現」していると見ることのうちに、人文学や人間を超えた新しい人文学へと再接続されるための道が与えられていた。私たちは今日、生命それ自体が発する表現のかたちや動きをつかみ取り、アートを介して思考するという時代を生きている。   シリーズ「参与と生命」の第3回は、「土の思想、科学とアート、参与しつつ消えていくために」と題して、草の成長をみつめ、耕すことの意味を、現代農業の実践者としての立場から思考してこられた「稲オタク」である松下明弘さんに、人類を視野に入れて農業についてのお話をうかがう。逆卷しとねさんには、異種間の生命の絡まりあいを前提とした創発を、個体の責任(accountabilityやresponsebility)から離れ

第16回研究会 参与と生命II 個/体を超える、その手前とかなた

第16回研究会 第55回マルチスピーシーズ人類学研究会 と共催 日時 2021年9月29日(水)13:30~17:30 場所 zoom  (*申し込みはマルチスピーシーズ人類学研究会のサイトへ) 参与と生命II 個/体を超える、その手前とかなた 【趣旨】  今日の自然科学は、もはや生命の個体的な起源ではなく、遺伝子解析を通してその生態系のネットワークへと探求を拡張している。そうした動向とあたかも並行するように、21世紀の人類学は、精神と物質を截然と切りわけるのではなく、両者を記号過程の中継点や効果として捉えるという視座を展開している。またこうした思考は、バイオアートや現代の仏教哲学においても豊かに展開されているものであった。  人間種に高度に発達したとされる意識や精神性は、しかしその種に独自のものではなく、他の生物種とも連続している。またそれは、他なるものから、人間種が問いかけられることでもあるだろう。そして、こうした観点から、個を超えるつながり・重なりや、アニミズムといったことの意義を照らしだすことができよう。  「参与と生命」の第2回は、「個/体を超える、その手前とかなた」と題して、こうした問題意識をふまえつつ、隣接諸領域との対話に踏み込んでいこう。  今回は、南方熊楠による粘菌への鏡検を支える言説に対する深い洞察を軸に、ハイデガーや華厳思想の存在論を媒介としつつ生命そのものを思考する「粘菌哲学」を構想している唐澤太輔さん、「生物の進化や生態系は、ヒトのこころの映し鏡である」という見地から、人間を生み出す内骨格動物(脊椎動物)の進化をたどる独自の「アニマンダラ」というフレームワークを提唱している天海ヒロさん、そして、「個を超える」トランスパーソナル心理学の試みを日本に導入した故・吉福伸逸のプロジェクトに伴走し、今日も個人臨床や企業研修、そして翻訳活動を通して活躍されているティム・マクリーン&高岡よし子さんをお招きし、話題提供をいただきながら、さらに思索を深めていきたい。   【プログラム】 司会進行:甲田烈(東洋大学井上円了哲学センター客員研究員) 13:30~13:40 趣旨説明 13:40~14:30 唐澤