第10回研究会(公開研究会) 著者とともに 甲田烈『水木しげると妖怪の哲学』 (2016年、 イースト・プレス )を読む ◆日時 2021年5月9日(日)14:00~17:00 ◆場所 zoom(オンライン開催) ◆趣旨 妖怪の何がいったい私たちを釘付けにするのだろうか? 私たちには誰でも幼い頃に、妖怪の絵を見たり妖怪話を聞いたりして、妖怪の実在感にぞくぞくとさせられたり、時には泣き出してしまったことなどがあるはずだ。 その頃から時を経て今、「主語的論理の独断」による「身体なき自己」の日常を生きる私たち大人にとって、もう一度身震いするような妖怪の真実在を体験することはできるのだろうか? ひるがえって、妖怪に向き合うとはいかなることなのか? 本研究会では、妖怪を 「内部」から 観察し、経験するとはいかなることなのかを、 『水木しげると妖怪の哲学』 をテクストとして、著者である比較思想家の甲田烈さん( 東洋大学井上円了哲学センター客員研究員)とともに考えてみようと思う。 ◆著者 甲田烈( 東洋大学井上円了哲学センター客員研究員) ◆聞き手 奥野克巳(立教大学・異文化コミュニケーション学部教授) MOSA(マンガ家) ◆事前申し込み(先着20名) 以下のフォームに所定事項を記入の上お申し込みください。 https://forms.gle/7wt3AonStXBG5cbL8 2日前までに、開催URLをお送りします。 ◆参加 どなたでも参加いただけます。無料。
鎌倉時代初期の名僧・明恵房高弁(1173~1232)は、19歳から死の直前の60歳まで40年間にわたって夢の記録を付けていた。夢は彼の人生に重要な位置を占め、覚醒時の生活と交じり合って、一つの絵巻物を織りなしている。著者・河合隼雄によれば、明恵の生涯は、分析心理学者ユングが個性化あるいは、自己実現の過程と呼んだものの素晴らしい範例である。
返信削除同じように、23歳から79歳まで、生涯にわたって多くの夢を記録した16世紀の興福寺の仏僧・多門院英俊は、あまりにも具体的に夢のメッセージを受け止め、願望と現実との区別もつかなくなったために、あるいは自我意識の立場から検討することを放棄し、単純にそれを信じるようになったために、明恵のような個性化の過程を歩むことができなかったと河合は評する。
母と父を幼くして亡くした明恵は、9歳で仏門に入った明恵は、釈迦という美しい一人の人間を信じ、後年、天竺に渡ろうと計画することになる。9歳で明恵が見たのは、乳母の体が切り刻まれて散在していたという内容の凄まじい夢であった。その夢には、母性の切断という主題がすでに与えられていたし、その後の父性と母性の相克という課題が予定されていたと、河合は読んでいる。「九相図」によって、仏僧たちが女性の死を観想する時代において、明恵は、彼の記憶する最初の夢として、母性的存在の切断のイメージを見たのである。
その身体のイメージは、「我、13歳にして老いたり」と記して、自らの体を犬や狼に喰わせて死のうとした自殺の企てに結びついていった。それはまた、「性」抜きの状態での12,3歳での一種の完成を維持するために、自らの命を絶とうとする試みであったと見ることもできる。明恵が予感した老醜とは、「性」という不可解なものを、一種の完成に達した経験しなくてはならないことであり、高僧たちのように、「九相図」によって女性の死を観想するのではなく、自らの身体を捨てることで、それに対処しようとしたであった。
捨身の象徴的な成就の後、母体への回帰を体験し、仏眼仏母との一体感を得た明恵は、母なる世界から脱却し、父なる世界と接触するために、自らの右耳を切り落としている。耳を切った夜、明恵は夢を見る。その行為がインド僧によって記録された。彼の行為は、仏によって承認されたのである。
色究竟天に上昇し、竜宮へと降下する夢。孔雀の大音声の夢、夢に現れる様々な動物たち。明恵の『夢記』には、彼の夢に対する敬虔な態度が現われている。彼は、夢を見る者の根本的な態度によって、夢の内容も意味も異なったものになることを教えてくれる。筏で川を渡りきることができる「筏立」という夢は、喜んでしまって、自我肥大を起こしてしまうことがあるが、明恵の夢記録は、まったくその心配がないと、河合は評している。
夢ではないが、明恵がテレパシーの能力を持っていたという報告があり、河合は、スウェーデンボリの事例と対照させたり、ユングの共時性の概念を持ち出したりして論じている。人間の意識は通常の生活では、自他、ものとこころを区別し、合理性や論理的整合性の高い意識を作り上げていくのが西洋に生じた意識の確立であり、その観点からは「意識閾を下げる」ことで無意識の活動を強化していくと、自他、ものとこころなどの境界が曖昧となり、共時的現象を認知しやすい状態となる。明恵の言動には、こうした人間にとっての多くの二元性を、どちらにも偏らず、統合的に見て行こうとする態度が現われているのだと、河合はいう。
河合が見る、明恵の人生における重要なテーマは、「女性」であった。女性や性欲の問題を仏教の中に引きずり込んで、イデオロギーの次元で1つの解決を提示した、明恵と同年の生まれの親鸞との対比の中で、「善妙の夢」と名付け、明恵が重んじた夢を題材としながら、河合はこの問題を掘り下げていく。性欲を感じないとか、抑圧しきるというのが素晴らしいのではない。それを感じつつ、いかにそれに直面していったのかが重要な点であり、人間の意志力のみで対処することができないと明恵は考えたのだと、河合は推察する。
兜率天に駆け上がり、一個の透体となり、光のヴィジョンに出会う「身心凝然夢」は、明恵の宗教経験のハイライトであったという。それは「事々無礙」の思想であり、明恵が事々無礙を理解したというより、彼の身体存在そのものが事々無礙の世界を体現したのである。(奥野克巳)