第6回研究会

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日時 2021年3月8日(月)20:00~

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茂木健一郎・天外伺朗『意識は科学で解き明かせるか』

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  1.  天外伺朗は、20世紀には量子力学が誕生し、21世紀に向かう中、これまでのサイエンスは物質現象だけに限定してきたが、新しいサイエンスは、人間の心、精神、意識を取り込もうとしていると述べ、その可能性を対談者の茂木健一郎とともに探るのが、この本の目的だとしている。アインシュタインの「一般相対性理論」から始めて、「量子力学」を概観する中で、光が光子を取り出しても粒子でもあり波動でもあるという現象に触れ、シュレディンガーの波動方程式では、「量子力学」のある部分が、物理的な説明ができないという点が確認される。アインシュタインの解釈、多世界解釈、コペンハーゲン派解釈と、それらのうちの論争などが順に紹介され、これらをまとめて天外は、いまの「量子力学」から導かれるのは、非局所的な宇宙の存在だと述べ、それを彼のいう「あの世」という概念枠組みに結びつけている。天外のいう「あの世」とは、①非局所的、②観測不可能、③因果律が成立しない、④時間・空間が定義できないという性質を持つ、量子力学の「波動関数の重ね合わせ」によって成立する世界で、デヴィッド・ボームの「暗在系」であり、仏教の「空」、ユングの「集合的無意識」に相当する。他方で、「この世」とは、「波動関数の収縮」であり、①局所的、②観察可能、③因果律に従う、④時間・空間が存在するという性質を持ち、ボームの「明在系」、仏教の「色」、ユングの「意識」にあたる。茂木からの質問に答えて天外は、心と物の統一とは、宗教と科学の統一であると述べている。
     茂木は、「量子力学」の系譜を、自然法則は人がいなくても客観的なものとして存在すると考える、数学的真理が客観的に存在するという「プラトン主義」につながる「実在主義」と、自然法則というのは人間が作ったものであり、絶対的な真理であるということは全くないと考える、数学的には非「プラトン主義」、形式主義につながる「実証主義」に分けている。実在主義には、シュレディンガー、ド・ブロイ、ボーム、ペンローズ、実証主義には、ボーア、ハイゼンベルク、マックス・ボルン、ホーキングを、それぞれ代表的研究者として位置づけている。茂木は対談の中で、実在主義は西洋的、一神教的で、人間を含めた宇宙を神の視点から見ているのではないか、実証主義は、人間に留まって、人間の主観を大切にするので、宗教と科学を結び付けるのに力があるのではないかと見ている。
     ボームは、実在主義の立場から、観察するまで存在しないような素粒子というのではなく、観察してもしなくても常に素粒子が存在するという「量子ポテンシャル理論」を立てて、粒子と、それが存在する「場」を分けた。その理論は、あらゆる粒子が減衰せずに全宇宙に広がるポテンシャルを持っているという考えなので、全部を積分するというのが難しく、発展途上の理論だということになる。これに加えてボームは、半透明のグリセリンが入った円筒形の容器の中に一滴のインクを垂らしてハンドルを回すと拡散して見えなくなってしまうが、ハンドルを逆に回すと、インクが元の点に戻るという実験から、目に見えている無秩序ではなく、観測できないくらい精妙な秩序があるのではないかと考え、「隠された秩序」を構想する。彼は、一見何の秩序もない干渉縞にレーザー光線を当てて、立体像(秩序)を作りだすホログラフィーから着想を得て、「ホログラフィー宇宙モデル」という仮説を提唱したのである。このことから、素粒子は常にどこかに存在しているのではなく、あるゆらぎの確率に従って、「暗在系」から「明在系」に出てきて、また「暗在系」に戻るという往還を繰り返すと考えた。言い換えれば、我々が物と認識しているものは、噴水の水の形ようようなもので、噴水の中の水の粒子は常に移り変わっているということになる。
     続いて、脳と心の研究の概略を説明する茂木に対し、天外は、脳が、大局的な能力である意識を司っているのだとすれば、部分部分を調べる古典的物理学ではなく、大局的であって全体的である、非計算的要素を持つ「量子力学」が発展してようやく記述できるものではないかと述べている。因果律が成立していなくて、時間・空間が一義的に定義できないような世界の話が意識の話だというのだ。天外は、ニューロンの発火現象が全てだとして、そこから意識の問題を解くべく出発している脳科学に欠けているのは、「意識の拡大」という現象だと見る。逆に言えば、茂木が言うように、今の神経科学は、意識にはいろいろな状態があるのに、正常な意識しか扱っていないということになる。そのことは、まず簡単なことから始めようとしていると擁護することもできるが、全体を見ることからはまだかなり遠いところにあるのだと言えよう。
     「スピノール」の概念を拡張していった後に、「相対性理論」の時・空の把握を進めて射影空間である「ツイスタースペース」を理論化したペンローズもまた、非局所性と非因果律を表現した宇宙を提案しているのだと捉えることができる。他方で、脳内でニューロンの発火が起きた時、色や音、抽象的な思考が生じるという表象に注目したのが、クオリアである。茂木は、ニューロンの発火とクオリアを結び付けるための基本的な考え方として、「相互作用同時性の原理」を想定している。ニューロンAからBにシグナルが伝わる時、心の中では瞬間に圧縮される。つまり、心理学的な時間は情報伝達にかかる時間を無視することによって構成される。その言い回しからは、ある意味、全体性に向かっているようにも見える。
     こうした茂木のクオリアの議論までを聞いた天外の示唆は、以下のようなものである。「量子力学」の実証主義とは、たんなる実証主義ではなく、仏教の「唯識論」である。実際に世の中のものは波動関数の重ね合わせとして存在するが、それを物質として認識するのは人間の意識であり、その意識が波動関数の収縮を引き起こしている。そこまで来ると、実在主義と実証主義のギャップはなくなる。そうすると、「意識の拡大」も説明できるし、集合的無意識も説明できるのではないか。その基礎に、仏教の「唯識論」、ヒンドゥー教のヴェーダーンタ派の教義を持ってくるのが望ましいのではないか。これに対し、茂木は、科学者としてはそれは簡単には受け入れにくいが、天外節は、心と物質の役割をひっくり返してしまえばいいというではないかと結んでいる。(奥野克巳)

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